親父が亡くってここ数日 ブログも4106ページ目を書き終えた後 パソコンに向かうも中々筆が進まず 数日ぶりの更新になりました
急だった事もあるけど...... 俺ってこんなに気持ち弱かったんだなぁ......
お店の方は日程をずらせない不動産の免許の更新やこれから始まる現場の挨拶回りに支払いなどやっておかないといけない事だけ済ませてお休みにさせて貰ってます
ショックも大きく 寝不足と県南を行ったり来たりもあってか11日辺りから体調もすぐれず(^^;
こんな時こそ しっかりしなきゃ!なんですけどね.....
個人的な事を書くのもどうかな? とも思ったんですが今の気持ちをいつか振り返る事もあると思うから少し気持ちの整理しながら親父の事を初めてブログに残す事にしました
湯沢と秋田で離れて暮らしてた事もあって電話で話す事の方が多かったけど...... ゴルフが好きでゴルフの友人も多かったようで...... 友人達とゴルフを楽しんだ翌日の朝は秋田の家に新聞と朝食用のサンドイッチやおにぎりを届けるのが日課になった
昨日はなんぼで回って来て楽しかったとか....... そっちの仕事なんとだ〜とか...... 一緒に仕事してた時の思い出話とか 経営ってよ...... 人生ってよ...... 失敗から学ぶものも多いけど頑張れ〜とか 親父から学ぶ事も色々あったけど..... もう教えて貰う事が出来なくなっちゃったな! 親父
幾つになっても子は子なんだろうな...... 心配掛けてたな! 親父
最後は決まって 一人で居るとダメなんだぁ..... 早ぐ嫁貰え! 早ぐ孫の顔見せろ! 貰うなら見でぐれだけじゃなくて気持ちの良い人貰え! 俺がまめでいる内にな!と笑いながら半分は怒ってた 他にも色々と言ってたけど痛いとこ突かれて毎度耳が重かったなぁ
そんな時は一緒に仕事してた時からしたら大分丸くなったんでねが? なんて笑いながら嫁の話を回避(笑)
一緒に仕事してた頃 ほとんど休みなかった気がする! なんて言った時はあだりめだ! 今は休みちゃんと休みやらねばだめだども!って笑ってた親父(^_^) いつも1時間位の親子の時間だったけど今思えばそれも二人で話が出来た良い時間だったと思う
昨年の9月 84歳の親父の誕生会に呼んで貰って東京に居る親父の兄弟達とも久しぶりに会った
来ていがったが? そう尋ねる親父に来ていがったよ! おめでとう!と伝えると喜んでいた(^_^)
今 思えば一緒に並んで写真でも撮っておけば良かったな.....
後悔とは先に立たずですね......
そう言えば..... その時、その時をめいいっぱいだよ! 過ぎた事は過ぎた事 人生めいいっぱい楽しまなきゃ! そう言ってたね(^_^)
その日の2次会は遠慮させて貰って帰った訳だけど..... 息子ながらにまだまだ元気だなぁ....って思ってたんだけどなぁ......
誕生会の後も何度か会う事はあったんだけど...... 電話で話す事の方が多かった
会って話したい事もあるから今度 飯でも一緒に食べるべ!なんて電話で話す度に言われてたんだけど...... 都合が合わず年を越し 3月7日の夜 電話を貰って当日時間を決めて9日に会う約束もしてたんだけど..... 8日の朝 救急車呼んで病院に居るからとの連絡を貰ったのが午後1時半 あまりに突然の事でびっくりだった
会って話したい事って何だったんだろなぁ......
亡くなった9日 病院へ行く身支度を整えてると親戚から電話も入り酸素マスクを付けるか付けないか決めなきゃいけないらしいから早く来いとの連絡を受けるもどうなってるのよ!と頭の中は真っ白
自分に今出来る事と言えば病院へこれから向かう連絡を入れる事位だった
向かってる途中 15時20分頃 車のチェックランプ点灯!
急いでる時にこんな事って...... ふと 親父のばーさんの危篤の知らせを聞いて向かってた途中タイヤがパンクしてスペアタイヤに交換してから病院に着いた時には息を引き取ってた事が頭を過ぎった
親父の心配と車の心配をしながら病院へ向かった
病院もこんな時でも今はすぐには病室まで行けない 急いで居る時のもどかしさったらありゃしなかった
面会手続きを済ませナースステーションに着いた10分前にもう酸素マスクの処置に入っていた親父 先に着いてた妹が決断してくれたのであろう
近いようで遠いな..... 県南も.....
このまま暫く様子を見ますね!との説明を受けて面会も出来ないまま18時に病院を後にしてその日は帰宅! 翌日の朝7時 妹からにいにい〜急変したみたいだからこれから向かうとこ こっちは雪降ってるから気を付けて来ての連絡を受け急いで病院へ向かった
握手を交わす事はあっても手で繋がるって何時依頼だったのだろう..... 親父の頭を撫でる事なんて初めてだった
声を掛けながら指先を握ると繋がれた計器の数字が上がった
そんな親父に頑張れ〜 嫁候補と面談するんだろ〜 そしてありがとな!と声を掛けたけど..... 届いていたのかな.......
雪がモサモサと舞う3月9日 9時20分 親父は静かに84歳の人生を終えた......
3月9日と言えば北支店を任されてOPENさせた日だったな...... 親父
本人もこんなタイミングでこんな事になるとは思わなかっただろうから...... やり残した事も多かったかもしれない
家族仲良くだったね.......
教わった教訓に言葉も沢山あるけど...... 今後に生かして頑張って行くよ俺!
亡くなってからでは間に合わない事 出来なかった事も数あるけど...... 一人じゃダメなんだ! 早ぐ嫁貰え! それだけが心配だって常に言ってた親父に自分の面倒見てくれてる人は居るからもう心配しなくていいと電話で伝えた時は喜んでくれた(^_^)
何してる人だぁ...... 歳なんぼよ? と興味も尽きないようだったけど今度3人で面談会食するべ!なんて言ってたからこんな事がなければ9日の日にそんな話も出来たかもしれないな
結局 一緒に会食をする機会は無くなってしまったけど...... 一部の親戚に今良い人居るみだいでよ〜と嬉しそうに話してた事を今回初めて知った
心配事の種を一つ減らせて少しは親孝行出来たかな....... 親父
出来たら手を合わせたいって言って貰ったんけど状況が状況だけに10日の日一緒に湯沢に向かい 家の場所を教えて自分が法事の段取りをしてる間は車で待ってて貰った
親父に手を合わせながら親父に会わせる事 会食する事は叶わなかったけど..... 気持ちの良い人だから大丈夫だ!と伝える事だけは出来た
親父の報告もあったので春彼岸には少し早かったけど今年も二人でおふくろの墓参りをして来ました
今回は水は持参したけど長靴を忘れた二人だったけど雪をゆっくり踏みしめながら手前の雪を手で掻き出しながら新しい花を供えて来ました
母の日に来れたらまた来るよ!とおふくろに声を掛けて来た
11日の納棺も無事終わり 筆が進まなかったブログも書きながら思い返すと涙腺も緩くもなり こんなんでちゃんと喪主を務められるか心配なとこもあるけど......
ありがとうの気持ちを込めて気持ちよく送ってあげたいと思います
親父...... 出来の悪い息子だったと思うけど 今までありがとな..............